遠く記憶をたどると、八木山動物園の入り口にいた記憶がある。四十数年前のことだ。ところが、動物園に入って動物たちを見たのか見なかったのかの記憶が極めて曖昧だ。
ライオンか何かを見たような気もするし見ていないような気もする。それを確認したかったからと言うわけではない。開通した地下鉄東西線に乗ってみたくて、目的を「動物園」巡りに決めた。なんと言っても、「豊齢カード」という天下御免の印籠みたいなものを持っている。
地下鉄東西線ははじめてである。乗ってみて車幅が通常の電車より狭いことに気づく。そういえば、軌道が狭いという話であったか。地下鉄は西門出入口に通じていた。エレベーターで5階まで上がったので、ちょっと不安になった。建物の5階に降ろされるものと思ったのだ。
西門出入口は山の上にあった。山の斜面に動物園は広がっているようだ。彼岸の中日、午前中は適度に日もあり、心持ち暖か。子供ずれで賑わっている。
私は気づいた。仙台に住み着いてずいぶん長くなったが、結局、今まで動物園は一度も見たことがなかったことを・・。動物園敷地内の地形そのものがはじめて降り立つ場所であった。こんなところは来たことがない。
どおりで、動物を見た記憶が明瞭に立ち上ってこないわけだ。動物を見たような記憶は、そもそも、偽記憶だったのだ。・・多分、動物園入り口の前を通ったことがあるだけだったのかも知れない。
かば、さい、ぞう、きりん、ライオン、トラ、チンパンジー、鳥類、等々、の施設を回り、猿山にやってきた。
猿山にボス猿はいるか。捜してみたが、それらしい猿は見当たらない。もしかしたら、八木山の猿は平等で階級はないのかも知れない。人に飼い慣らされて自立した社会を必要としないのかも知れないし。
別の言い方をすれば自治の意欲を失ったのか。
ボスのいない社会って、外部の権力の前に集団が個人に解体されて、平等化した社会だってことも十分ありうる話だ。
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